2010年6月8日火曜日

史料演習 三

目録番号十

 (朱書)卯六月十九日天野嘉右(う、あいるは不発音。左の場合、さ)衛門・大貫専助飛脚(ひきゃく)差立る(さしたてる、発送する)。
  異国人より申越(もうしこし)候趣申上候書付。

                               戸川筑前守
                               羽太安芸守
 先達而(さきだって)異国船江連行(つれゆき)候唐太(樺太)嶋番人四人、エトロフ(択捉)嶋番人五人、都合九人之内、八人当月六日リイシり(利尻)嶋より小船ニ乗センソウヤ(宗谷)江相帰し、ヲロシヤ国願(ねがい)之筋書翰(書簡)為持(持たせ)差越(さしこす=送ってよこす)候由、右書翰ハ彼国(かのくに)之文字ニ候得共、船中(せんちゅう)之首領ミカライサンダランと申者、日本詞(ことば)を以書翰之解(かい)いたし、其裏江(へ)片仮名ニ而書記し(かきしるし)差越候間(あいだ、意味:ので)、右書翰並(ならび)番人八人共支配向(しはいむかい)差添(さしそえ)、箱館(函館)江差出候筈之由、先右書翰之写差越候間、別紙入御覧(御覧にいれる=見せる)申候、猶番人共罷(まかり、他の動詞の上に付いて、謙譲、丁寧の意を表す)出(いで)候ハは、得と(篤と=念を入れて、じっくりと)相糺し(あい正し)追々可申上候(申上げるべきそうろう)。

 但右書翰ハ当三月中認置(したためおき)候由ニ御座候、

 一、ヲロシヤ船大之方(おおきのほう)千石余積人数四十人余、小之方三四百石積人数二十人余都合六十四五人も可有之(これあるべし)、当年ハ此ニ艘之外渡来之儀者(は)番人共不及承由(うけたまわりにおよばざるよし)、尤松前箱舘辺(あたり)乗廻し候儀も無之(これなし)、紅毛イキリス船は商いに参(まいり)候趣承(うけたまわり)候旨、番人共申立候由ニ御座候。

 但毛類、切レ類(きれるい)其外細工物、番人江相渡差遣(さしつかわす)候由に御座候。

右之趣ソウヤ詰(つめ=つめる、出勤して控えている。当直する、EG江戸詰め)支配向より今十九日申越(もうしこし)候間、早々申上候、猶追々可申上候(もうしあげるべくそうろう)、以上。

 六月十九日
                                戸川筑前守
                                羽太安芸守
先達而南部・津軽・松前・箱舘辺(あたり)相見(みえ)候異国船は、本文イキリス船にも可有之哉と奉存(ぞんじたてまつり)候。

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