… 戦間期西欧における西欧民主主義理論のもう一つの型は,民主主義をむしろ非政治的側面も含む共同体としての社会全体の精神原理とするものである。たとえばイギリスのA.D.リンゼーは《民主主義の本質》(1929)において,〈民主主義は必ずしも同意による政治ではなく,また代議制はたんに民衆総会の範囲を拡大する手段ではなく〉,もっと積極的に〈討論と集いの意識〉を通じて人々が〈共同思考〉し,〈共同活動の原則〉を見いだすことであるとした。これは,決定そのものよりそこにいたる方法を重視するという意味では第1の型の理論と共通している。…
ダンロップ・リンゼイの分析
~ 『民主主義の本質/The Essentials of Democracy』より~
■1 17世紀のイングランドのピューリタン
民主主義の本質、すなわち近代民主主義にとって基本的な諸性格と考えるものについて論じようとするこの書物は、その叙述の方法において理論的-わけても政治理論的-であることはいうまでもありませんが、そうした理論的展開に先立って、リンゼイは近代民主主義の源流を17世紀のイギリスにおけるピュウリタニズムにもとめて、その歴史的考察を試みていることは、他にみられないこの著述の顕著な特色といえるかと思います。
(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより)
方法論 - 理論的分析と歴史的考察の構造的関連
意図 - デモクラシーを歴史から分離した抽象概念ではなく、近代に固有
な歴史的理念として把握。
■2 日本の分析傾向
(リンゼイの)歴史的考察は、もっぱら17世紀ピュウリタニズムに向けられていることも、わたくしたちにとっておおくの示唆を含んでおります。なぜなら、わたくしたちの国において、近代民主主義についての歴史的考察がなされる場合、その多くは考察の対象としてフランス革命わけてもルソーの思想を取り上げ、もし17世紀のイギリスがとり上げられることがあったとしても、一般にはホッブスに端緒的に示され、のちその世紀が政治理論の理論的支柱となったと考えられている自然主義的・個人主義的な自然権思想に考察の眼が向けられることはあっても、それとは対照的なピュウリタニズムのキリスト教的な人権および《集会》にもとづく共同社会的理念が本書におけるようにその主たる考察の対象となるということはほとんど皆無であります。(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより、カッコ内管理人)
日本の近代デモクラシー分析の傾向
① フランス革命との関連 <ジャン・ジャック・ルソー>
ルソーを重視して、デモクラシーをないがしろにしている。
ヒトラーが利用した
② トマス・ホッブスの思想「自然主義的・個人主義的自然権思想」
③ ピューリタニズムのキリスト教的人権と集会(congregation)に基づく
共同社会的理念の考察はしない。
ピューリタニズムと近代社会の関係の考察
a) マックス・ウェーバーの方法
近代資本主義成立史の視点から近代デモクラシーとの関係を論ずる
b) ゲオルグ・イエリネックの方法
19世紀国家学から近代的個人の人権思想の起源をピューリタニズム
に求めた (『人権宣言論』美濃部達吉訳)
c) ダンロップ・リンゼイの方法
ピューリタニズムの集会(共同社会的理念の原型)
日本での分析は皆無に等しい
■3 デモクラシー
わたくしたちの国では、(民主主義の原理を宣伝しようとしている)そうした超越的啓蒙が戦後繰り返しなされていることは事実のようです。しかし、この書物におけるリンゼイの意図は、もとよりそうしたところにはなく、むしろ民主主義を、基本的には近代に固有な非政治的共同社会のいわば生活様式とでもいったものとしてとらえて、その存立のための基礎的条件を地味に追及してゆこうとするところにあります。そして、その条件として最も重要にして不可欠なものは、一般によく考えられているところの《同意 consent》ではなく、なによりもまず《討論 discussion》でなければならないというのです。なぜならかれにとっては、民主主義にとって大切なことは、反対の立場を認め、それぞれの見解が明白に表明され、十分に討議されること-相違の中における平等な参与-によって、共同活動の原則発見のため互いに貢献するということにあるからです。《同意》は民主主義の結果であっても条件ではないと考えるのがリンゼイの立場なのです。(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより、カッコ内管理人)
近代に固有な非政治的共同社会の生活様式(Way of Life)に焦点をあて、
その存在のための基礎的条件の追及
(1)同意(consent)ではなく、話し合い(discussion)。
デモクラシーで重要なことは、反対の立場を認め、それぞれの見解が明白に表明され、十分に話し合いがされ、相違の中における平等な参加により、共同活動の原則が発見される。
(2)同意(consent)はデモクラシーの結果ではあっても、条件ではない。
(3)共同思考(collective thinking)
市民社会の基本
集いの意識(sense of meeting)の構築
反対意見の尊重、共同活動の原則、自発自律の精神気運
リンゼイは民主主義を、たとえばわが国でよく知られている純粋法学者ハンス・ケンゼルの考えるように、たんに社会的意思を形成する政治的形式(方法)としてではなく、むしろ、そうした意志 - 輿論ないし世論といった方がより適切なもの - の形成主体であり促進母胎でもある社会そのものの健全にして活気に充ちた自発的運動態として把握しているといえます。その上、そうした討論の行われている生き生きとした動的現実態としての社会においては、政治的無関心といった自体は現象化する余地さえないと考えられるわけですから、不条理な大衆的熱狂や社会的興奮を煽りたててみせかけの万場一致にもってゆく必要性もないということになります。
(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより)
注意!
ハンス・ケルゼンの説 ・・・ナチスが利用
純粋法学のウィーン学派「社会意思を形成する政治的形成・方法」
話し合いを世論形成主体、世論促進母胎である社会の健全・活気に満ちた 自発的運動実態として把握
→ デモクラシーは絶対に手続きや形式的なものではない!
(4)討論のある動的実態としての社会の規定
イ) 政治的無関心は生じにくい
ロ) 不条理は大衆熱狂や集団ヒステリーや煽動は不要
ハ) みせかけの満場一致は不必要
ニ) 日常的陶酔の否定
ホ) 市民的日常性に基礎を置く、真の討論社会の創設
参考文献"The Essentials of Democracy" 邦訳『民主主義の本質』
~ 『民主主義の本質/The Essentials of Democracy』より~
■1 17世紀のイングランドのピューリタン
民主主義の本質、すなわち近代民主主義にとって基本的な諸性格と考えるものについて論じようとするこの書物は、その叙述の方法において理論的-わけても政治理論的-であることはいうまでもありませんが、そうした理論的展開に先立って、リンゼイは近代民主主義の源流を17世紀のイギリスにおけるピュウリタニズムにもとめて、その歴史的考察を試みていることは、他にみられないこの著述の顕著な特色といえるかと思います。
(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより)
方法論 - 理論的分析と歴史的考察の構造的関連
意図 - デモクラシーを歴史から分離した抽象概念ではなく、近代に固有
な歴史的理念として把握。
■2 日本の分析傾向
(リンゼイの)歴史的考察は、もっぱら17世紀ピュウリタニズムに向けられていることも、わたくしたちにとっておおくの示唆を含んでおります。なぜなら、わたくしたちの国において、近代民主主義についての歴史的考察がなされる場合、その多くは考察の対象としてフランス革命わけてもルソーの思想を取り上げ、もし17世紀のイギリスがとり上げられることがあったとしても、一般にはホッブスに端緒的に示され、のちその世紀が政治理論の理論的支柱となったと考えられている自然主義的・個人主義的な自然権思想に考察の眼が向けられることはあっても、それとは対照的なピュウリタニズムのキリスト教的な人権および《集会》にもとづく共同社会的理念が本書におけるようにその主たる考察の対象となるということはほとんど皆無であります。(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより、カッコ内管理人)
日本の近代デモクラシー分析の傾向
① フランス革命との関連 <ジャン・ジャック・ルソー>
ルソーを重視して、デモクラシーをないがしろにしている。
ヒトラーが利用した
② トマス・ホッブスの思想「自然主義的・個人主義的自然権思想」
③ ピューリタニズムのキリスト教的人権と集会(congregation)に基づく
共同社会的理念の考察はしない。
ピューリタニズムと近代社会の関係の考察
a) マックス・ウェーバーの方法
近代資本主義成立史の視点から近代デモクラシーとの関係を論ずる
b) ゲオルグ・イエリネックの方法
19世紀国家学から近代的個人の人権思想の起源をピューリタニズム
に求めた (『人権宣言論』美濃部達吉訳)
c) ダンロップ・リンゼイの方法
ピューリタニズムの集会(共同社会的理念の原型)
日本での分析は皆無に等しい
■3 デモクラシー
わたくしたちの国では、(民主主義の原理を宣伝しようとしている)そうした超越的啓蒙が戦後繰り返しなされていることは事実のようです。しかし、この書物におけるリンゼイの意図は、もとよりそうしたところにはなく、むしろ民主主義を、基本的には近代に固有な非政治的共同社会のいわば生活様式とでもいったものとしてとらえて、その存立のための基礎的条件を地味に追及してゆこうとするところにあります。そして、その条件として最も重要にして不可欠なものは、一般によく考えられているところの《同意 consent》ではなく、なによりもまず《討論 discussion》でなければならないというのです。なぜならかれにとっては、民主主義にとって大切なことは、反対の立場を認め、それぞれの見解が明白に表明され、十分に討議されること-相違の中における平等な参与-によって、共同活動の原則発見のため互いに貢献するということにあるからです。《同意》は民主主義の結果であっても条件ではないと考えるのがリンゼイの立場なのです。(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより、カッコ内管理人)
近代に固有な非政治的共同社会の生活様式(Way of Life)に焦点をあて、
その存在のための基礎的条件の追及
(1)同意(consent)ではなく、話し合い(discussion)。
デモクラシーで重要なことは、反対の立場を認め、それぞれの見解が明白に表明され、十分に話し合いがされ、相違の中における平等な参加により、共同活動の原則が発見される。
(2)同意(consent)はデモクラシーの結果ではあっても、条件ではない。
(3)共同思考(collective thinking)
市民社会の基本
集いの意識(sense of meeting)の構築
反対意見の尊重、共同活動の原則、自発自律の精神気運
リンゼイは民主主義を、たとえばわが国でよく知られている純粋法学者ハンス・ケンゼルの考えるように、たんに社会的意思を形成する政治的形式(方法)としてではなく、むしろ、そうした意志 - 輿論ないし世論といった方がより適切なもの - の形成主体であり促進母胎でもある社会そのものの健全にして活気に充ちた自発的運動態として把握しているといえます。その上、そうした討論の行われている生き生きとした動的現実態としての社会においては、政治的無関心といった自体は現象化する余地さえないと考えられるわけですから、不条理な大衆的熱狂や社会的興奮を煽りたててみせかけの万場一致にもってゆく必要性もないということになります。
(『民主主義の本質』永岡薫訳・訳者あとがきより)
注意!
ハンス・ケルゼンの説 ・・・ナチスが利用
純粋法学のウィーン学派「社会意思を形成する政治的形成・方法」
話し合いを世論形成主体、世論促進母胎である社会の健全・活気に満ちた 自発的運動実態として把握
→ デモクラシーは絶対に手続きや形式的なものではない!
(4)討論のある動的実態としての社会の規定
イ) 政治的無関心は生じにくい
ロ) 不条理は大衆熱狂や集団ヒステリーや煽動は不要
ハ) みせかけの満場一致は不必要
ニ) 日常的陶酔の否定
ホ) 市民的日常性に基礎を置く、真の討論社会の創設
参考文献"The Essentials of Democracy" 邦訳『民主主義の本質』
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