2011年6月23日木曜日

高岛

高島 元洋(タカシマ モトヒロ)日本儒教の特徴


1. 日本儒教を理解する枠組みについて(ⅰ) 丸山真男『日本政治思想史研究』。(ⅱ) 相良亨『近世の儒教思想』。


2. 問題設定の妥当性と検討すべき課題。


 Ⅰ丸山の問題設定:時間的前後関係における転換から理解される日本儒教の特徴


Ⅱ相良の問題設定:空間的内外関係における転換から理解される日本儒教の特徴


3.  ①〈比較思想的観点〉からの儒教理解と検討すべき課題。


  ⑴中国儒教(思想)―郡県制(社会構造)。宗族(社会構造)における「孝」(思想)b科挙士大夫(社会構造)における「聖人」「修己治人」「仁」(思想)


  ⑵日本儒教(思想)―封建制(社会構造)。a宗族がない社会(社会構造)における「礼」(思想)b科挙士大夫がない社会(社会構造)における「人倫」(思想)


4.表1 A(もともとの)オリジナル[原型]な文化 B(あたらしくうまれた)独創的[オリジナル]な文化 Cオリジナルな文化を独創的な文化に変形洗練させる力。


5. ⅰ丸山真男(19141996)『日本政治思想史研究』


 ここでは日本の近代化を問題にして、A朱子学の「自然的秩序の論理」からB徂徠学の「作為の論理」への転換を論じる。「自然的秩序の論理」とは、天人合一観のように、天と人、自然法則と道徳法則とが対応連続するとする考え方である。「作為の論理」とは、道(制度)は自然にあるものではなく、聖人の作為をまってはじめて成立するとする考え方である。丸山は、この作為する聖人像に独自の解釈をくわえ、近代につながる「主体的人格」を読み込む。丸山は、近世儒学の展開のなかに「近代意識の成熟を準備する前提条件」を探ろうとした。近世の思想はむろん近代意識そのものではないが、その「前提条件」である。この「前提条件」があって封建的イデオロギーは内部から解体する。


6. ⅱ相良亨(19212000)『近世の儒教思想』


 ここでは儒教という外来思想にたいして日本の伝統的な倫理観の質を問題にして、A朱子学の「敬中心の儒学」からB仁斎学の「誠中心の儒学」への展開を論じる。「敬」は人倫関係における自と他との「差別性」につながる徳性であり、武士的な「自敬衿持の精神」


にむすびつく。一方、「誠」は自と他との「合一性」につながる徳性であり、武士的精神にたいする町人の立場にむすびついた。相良は、さらに「誠」の思想を支える日本人の伝統的倫理観を問題にする。「誠」にあらわれる「主観的心情の純粋性を重視する傾向」は、同時に「倫理の客観的・法則的把握」において未成熟なものがあるのではないかと危惧する。



7. 日本社会の近代化ということでいえば、近世と近代は断絶することなく連続している。その端的な事例として、明治維新(1868)の後ほとんどときをおかず、やつぎばやに近代化政策が実施され近代産業が起こったということがある。たとえば電信開通(1869)、工部省設置(1870)、郵便制度実施散髪脱刀令(1871)、学制頒布鉄道開通富岡製糸工場[官営模範工場](1872等々である。このように事業の急速な展開が可能であったことは、近世においてすでに近代化にむけての蓄積があったと考えるべきなのである。



8. 経済構造は、米遣い経済(米中心の経済)と貨幣経済(市場経済)の二重構造でなりたっており、したがって封建社会(身分制度)も、米遣い経済に武士・農民(「士農」)がくみこまれ、市場経済に町人・職人(「工商」)がかかわるというダブル・スタンダードのもとで実施された。そして近代が選択したことは、この二重構造を解体して市場経済に一元化することであった。おおきな方向転換ではあるが、断絶ではない。すでに活溌であった市場経済がこれによってさらに拡大するのである。



9. 解釈のあやまりの一例。丸山は、「作為の論理」の聖人像において、無から制度を作る近代の「主体的人格」を読み込む。しかしこの解釈は、徂徠において聖人は、無からではなく「窮理」により「天地」に通暁し「道」を制作するとあるので成立しない(『弁名』)。



10. しかし、人が「活物」であるためには道(人工物)が存在しなくてはならないのである。

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