一、
1,孟轲邹人也,游事齐宣王梁惠王。(三松)
孟軻鄒の人なり、斉の宣王、梁の恵王を游事する。
ア、邹人=鄒の人
イ、何ぞ自国を必ずとせん。=何ぞかならずしも〜〜せん=何必。
ウ、禽を獲(うる)
エ、ク語法、謂えらく、思はく、願はく、見らく、散らまく、言ひしくなど。
オ、然れば=しかれば
カ、我邦は上(かみ) 天朝より下(しも)列藩に至る。欠字。
キ、死に至ると雖ども(いえども)〜〜我父母は何国(いずれのくに)の人ぞ。
2,松阴对孔孟离开生国的批评,如何解释自己的脱藩?
3,丸山《忠诚和反逆》,幕府时代忠诚的多重构造,複数のレベル。家,藩,将军,天皇。
4,松阴对西方的介绍,「近世海外の諸蛮、各其賢智を推挙し、其政治を革新し、駸々然上国を凌侮するの勢あり。我何を以てか是を制せん?安政3年、1857」中介《海国图志》,思想大系,P156给自己哥哥的信(安政元年1854)。
5,中国的君臣关系「半季渡りの奴婢、その主の善悪を選んで転移する」VS日本「国体」=「万世一系」「秩序久しく続く」
6,国学者对“汤武放伐”的认识。
伝平田篤胤遺稿、碧川好尚校定『大道或問』、安政6年9月。所谓的禅让,放伐不过是恶人夺取国家的口实罢了。“汤武放伐”是孟子「苦し紛れ」的 发言。
二、
1、王何必曰利,亦有仁义而已。
王何ぞ必ずしも利を言わん、亦に仁義有るのみ
何必:なんぞかならずしも〜ならん、せん
2、後出師表、『古文真宝』、『続文章軌範』に収録され、江戸期盛んに読まれた。
近代デジタルライプフリーで文章名を検索するとすぐにわかる。
古文真宝
こぶんしんぽう
中国周代から宋(そう)代に至る古詩、古文の珠玉集。前後集各10巻。編者の黄堅(こうけん)の伝記は明らかでないが、宋末元(げん)初のころの編著であろう。1366年(元の至正26)の鄭本(ていほん)の序に、当時注釈もあり、久しく世に行われていたという。前集は勧学文、五言古風短篇(たんぺん)、同長篇、七言短篇、同長篇、長短句、歌(か)、行(こう)、吟、引、曲の11体217編の詩、後集は辞、賦(ふ)、説、解、序、記、箴(しん)、銘(めい)、文、頌(しょう)、伝、碑、弁(べん)、表、原、論、書の17体67編の文を収める。
明(みん)の弘治(こうち)本・朝鮮本、また『古文大全』と題する本など、内容編数の異なる諸本もあるが、日本では室町時代に元版の諸儒箋解本(しょじゅせんかいぼん)が翻刻され、五山の学僧青松・万里らの箋釈(せんしゃく)がある。そして江戸時代には榊原玄輔(さかきばらげんぽ)の『前集諺解(げんかい)大成』、林羅山(らざん)・鵜飼石斎(うかいせきさい)の『後集諺解大成』、鈴木益堂の校本も出て、四書や『唐詩選』『文章軌範』とともに、漢詩文の学習に必読書として広く行われ、日本文学中の漢文学の素養は、本書によるところが多い。
[星川清孝] 大百科
文章軌範
ぶんしょうきはん
中国、宋(そう)代の散文選集。七巻。謝枋得(しやぼうとく)編。唐宋の古文を中心に文章の模範となる作品69編を選んだもの。選ばれた作品は、15作家のうち唐の韓愈(かんゆ)が32編ともっとも多く、ついで宋の蘇軾(そしょく)の12編、唐の柳宗元(りゅうそうげん)と宋の欧陽修(おうようしゆう)の各五編がこれに次いでいる。この書は、努力しだいで高位高官になれる意の「侯王将相有種乎(こうおうしようしようしゆあらんや)」の七字を、七巻に一字ずつあてて、侯字集・王字集などと命名しているように、官吏任用試験(科挙)の受験参考書としてつくられたものである。したがって、第一巻から順次に勉強すれば、しだいに高級な文章技術を会得できるように組み立てられている。科挙のないわが国では、江戸時代に作文の教科書あるいは文章の傑作集として広く読まれた。
[横山伊勢雄] 大百科
3、苟且。こうしょ。
4、苟=いやしくも
5、鞠躬盡瘁,死而後已,至於成敗利鈍,非臣之明所能逆睹也。鞠躬して尽力し、死して後已まん。
6、作輟(さくてつ)、中輟、途中でやめる。不輟、輟まず
7、然〜然る 不然=然らず(しからず)
8、豈〜〜ならんや。どうして〜であろうか=豈。VS 豈恥づべきの至りならずや。なんと〜〜ではないか=豈不。
9、墨魯=アメリカとロシア
10,「野山獄読書記」『吉田松陰全集第7巻』。『四書集注』、『孟子成分』、「孟子集注および語類」
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