2010年6月28日月曜日

共同体与社会 德 斐迪南,滕尼斯

1,本书最大贡献:发现并深刻阐明在人类的群体生活中的两种结合的类型,用二分法的概念,从人类结合的现实中,抽象地概括出这两种类型:共同体与社会。
2,共同体,建立在自然的基础之上的群体里实现的。建立在有关人员的本能的中意或习惯制约的适应或者与思想有关的共同记忆之上。血缘共同体,地缘共同体,宗教共同体等。
3,在人类的发展历史中,共同体 这种结合的类型早于有的放矢建立的,人的结合的社会类型。
4,与此相反,社会产生于众多的个人的思想和行为的有计划的协调。社会是一种目的的联合体。
5,“社会应该被理解为一种机械的聚合和人工制品。社会的基础是个人,个人的思想和意志。”

『弁名』「仁」四則

一. 徂徠における「仁」

1. 仁・徳・道・聖人(先王)の関係

は、一つのである。

は、(それぞれの性の近き所に従って)に得るところである。

とは、a.「孝悌義より、礼楽刑政に至るまで」の統名であり、先王がこれを立てて[1]、天下後世の人びとがそれによって行うようにさせたのである。[2](『弁名』道十二則1

とは、b「統名であり、礼楽刑政およそ先王の作ったものを挙げて、併せて名付けられる」ことである。(『弁道』3a bを比べて見ると、問題になるのは、仁が制作されたものか、立てられるものか?

聖人は、を制作した作者の先王である。(『弁道』1

2. 仁の内容

「仁とは、人に長になり、民を安んずるの徳をいうなり」。要するに、仁とは、人類共同体においては、上にある首領(君主)は、下にある民を安らかにさせる徳である。その故に、「安民」するために、先王が造った「礼楽刑政は仁に非ざるはなし。」(『弁名』仁四則1

「良く先王の道を挙げてこれを体すること(民を安んずる、民を養うの)は仁なればなり。」(『弁道』7

3. 仁の根元

仁とは、聖人が「天地の大徳=生」に則った大徳であり、また「生を好むの徳」というのである。

4. 仁の優位

聖人(先王)の場合:一つの大徳。――「君の徳はこれに(くわ)えるなし」

後世の君子場合:聖人の道を学んで、徳をなすための究極目標である(仁を至れる)。

聖人(先王)の道の場合:「先王の道は多端なり、ただ仁のみを以てこれを貫くべし。」(『弁道』23)「聖人の道は衆美(衆徳)ありといえども、みな仁を輔けてこれをなす所以なり」。(『弁名』仁四則1

5. 仁・性・徳・道の力関係

「惻隠……仁(義)、性に本づくことを明らかにするのみ。その実は、惻隠を以て仁を尽すに足らず。」(『弁道』1

「子思の本意、聖人、人の性に従って以て道を立つ。」(『弁道』1「子思、書を著して……先王、人の性に率いてこの道を作為すと謂うなり」(『弁道』4

「相親しみ相愛し相生じ相成し相輔け相養い相(ただ)し相救う者は、人の性然りと為す。」(『弁道』7

「人のは殊とりといえども……みな、相愛し相養い相輔け相成すの心、運用営為の才あることは一なり。」(『弁名』仁四則1

 「良く億万人を合して、その親愛生養の性を遂げしむる者は、先王の道(すなわち民を安んずる道)なり。」(『弁道』7

 「は先王に属し、は私に属す。ただに依りてしかるのち道は我と得て(がっ)すべし。」

6. 仁と愛

「仁以てこれを愛す」とは、ただその一端を言うのみ。いずくんぞ仁を尽すをえんや。つまり、愛で仁の全体を尽すことができない。

孔子が仁を「人を愛す」といったのは、民の父母となることをいったのである。

7. 仁を成す方――礼楽を習う(おこなう?)

礼楽は(ものい)わざれば、習って以て徳と成す。「『弁名』仁四則3

なぜ礼楽を習う(おこなう?)のは必要か?――「一星の火、原をやくに至り、一寸の苗、天に参するに至る」の喩え。

()きてこれを長じ、引きてこれを伸ばさしめば」――自ら、内物 ×

「風を以てしてこれを鼓し、雨露を以てしてこれを灌漑し」――外から、外物 ○

「礼楽」を以てこれを養い、然るのちに仁徳を成す

➔風と雨露を礼楽の譬えとして理解されれば、一星の火、一寸の苗に譬えられたこれ、何を指すか?

二. 担当箇所についての考察

1. 「もの」に対する言語の限界

一種の言語研究者としての徂徠は、われわれの使用している言語の限界性をある程度気付いたと思う。「道」、「徳」、「仁」などの「形なき」ものをめぐって論説は、ほぼ「ABである」のような描写的な解説パターンを断念した。これにかわって、これらの言葉(名)は創造物であり、また造られた時には、一定の効能が創造者から賦与されると想定し、その言葉の効能から言葉の内実を捉えようとした。

妥当でない一例を挙げれば、「水」に対する解釈は、『大辞林』には、「水素と酸素とから成る化合物。化学式 H2O。常温で無色透明・無味無臭の液体で物をよく溶かす……飲用のほか、溶解・洗浄・冷却・発電、あるいは、宗教上の儀礼など、人間の日常生活や産業などのあらゆる局面において利用される。」とある。句読点を含めて355字を使っても、恐らく「水」をまだ完全に描ききれていないといえよう。徂徠の場合には、「水は、一言で説明できないが、命を維持する飲用物である」というような解釈をするかもしれないと思われる。

2. 徂徠学説の起点と到着点

徂徠はこれまで儒学における既に存在していた孔子の権威に乗じて、孔子の学習対象としての『六経』を遡り、六経に載せられる先王の道の権威を見出してきた。そして、「作者之謂聖」という文句によって、作者ではない孔子の権威を引き下げ、作者であった先王の権威を上げて、遂に最も完璧な、超越的な存在として崇めた。これが自分の論説を展開して、進める根拠、力点とされた。

こう見れば、徂徠の学説においては、先王そして先王の道が最高の存在だという論証が不十分であり、しばしば一種の「信仰」のような存在として扱われたように思われる。

先王の道を民を安んずる礼楽刑政と要約した(定義した?)徂徠は、何を目指していたのか?

孔子以前の「実物」としての先王が制作した「礼楽刑政」はいずれも無くなっているが、これを復活させ、日本社会に活かそうとしていたのであろうか?あるいは、先王の「民を安んずる」願望を引き続いて、礼楽刑政を再制作しようとしていたのであろうか?あるいは、「人の内面性や道徳性を重視し過ぎて、礼楽刑政を害する恐れがあり、「体があるのに、用がない」」と彼が理解した朱子学(仁斎学)に対し批判を行い、自分の学説を打ち立てようとしていたのであろうか?

3. 徂徠学説における政治と道徳

 もし、子思、孟子が老氏の挑戦に応対するために、あるいは、時を救うために、性善説、道徳説を提出したという徂徠の指摘が成立するのであれば、老子の「聖人の道は偽である」という挑戦に対しては、徂徠はどのように答えられるのであろうか?

一般的に、孔子の思想では、礼楽(外在の制度)と仁(内在の道徳性)とは両方ともに存在していると認められる。[3]「民を安んずる」のは、儒学思想においては、ずっと大きな課題として存在している。従って、徂徠、朱子、仁斎の相違は、ある意味でただ方法論の相違だけであるといえよう。「民を安んずる」という「公徳」を実現するためには、人間の道徳性すなわち「私徳」を「公徳」に取り込む必要がなかったというような徂徠理解は、もちろん徂徠学説の要所を把握しうる。ところが、徂徠の学説は、本当に個人の道徳性と関わらないだろうか?

今度の担当の部分を読む限り、徂徠は「礼楽」を主眼とした「先王の道」の理解において、人々の道徳の果たせる役割を、最低程度に抑えようとしたが、完全に取り消すことができず、むしろ「先王の道」の不可欠の一部分として組み込んだではないかと思われる。(たとえば、相愛し相養い相輔け相成すの心についての論説)










[1] 『弁名』道十二則1、原文は「道者統名也。以有所由言之。蓋古先聖王所立焉……」である(P210)。「道なる者は統名なり。由る所あるを以てこれを言う。けだし古先聖王の立つる所にして……」というように読むと、少し変な感じがする。「以……言之、蓋……」とは、仮定的な設問と推測的な解答の文法の構造だと思われる。論点を明瞭に説明しようとした『弁道』と範疇・概念をはっきりととのえようとした『弁名』と比較すれば、言葉遣いは少し違うかもしれないと考えられる。

[2] 同じような表現は、『弁名』仁四則1にもある。「先王……礼楽を制作して、この道を立て、天下後世をして之に由らしめ……」

[3] 「儒家の教えとしては、『忠恕』の“仁”を中核に道徳の内面性の拡充を目指した曾子学派と、仁の表現経世である礼性を尊んでその社会性を重視した子游・子夏学派とに、二大別される。」戸川芳郎など:『儒教史』、山川出版社、1987年。pp3132

2010年6月8日火曜日

史料演習 三

目録番号十

 (朱書)卯六月十九日天野嘉右(う、あいるは不発音。左の場合、さ)衛門・大貫専助飛脚(ひきゃく)差立る(さしたてる、発送する)。
  異国人より申越(もうしこし)候趣申上候書付。

                               戸川筑前守
                               羽太安芸守
 先達而(さきだって)異国船江連行(つれゆき)候唐太(樺太)嶋番人四人、エトロフ(択捉)嶋番人五人、都合九人之内、八人当月六日リイシり(利尻)嶋より小船ニ乗センソウヤ(宗谷)江相帰し、ヲロシヤ国願(ねがい)之筋書翰(書簡)為持(持たせ)差越(さしこす=送ってよこす)候由、右書翰ハ彼国(かのくに)之文字ニ候得共、船中(せんちゅう)之首領ミカライサンダランと申者、日本詞(ことば)を以書翰之解(かい)いたし、其裏江(へ)片仮名ニ而書記し(かきしるし)差越候間(あいだ、意味:ので)、右書翰並(ならび)番人八人共支配向(しはいむかい)差添(さしそえ)、箱館(函館)江差出候筈之由、先右書翰之写差越候間、別紙入御覧(御覧にいれる=見せる)申候、猶番人共罷(まかり、他の動詞の上に付いて、謙譲、丁寧の意を表す)出(いで)候ハは、得と(篤と=念を入れて、じっくりと)相糺し(あい正し)追々可申上候(申上げるべきそうろう)。

 但右書翰ハ当三月中認置(したためおき)候由ニ御座候、

 一、ヲロシヤ船大之方(おおきのほう)千石余積人数四十人余、小之方三四百石積人数二十人余都合六十四五人も可有之(これあるべし)、当年ハ此ニ艘之外渡来之儀者(は)番人共不及承由(うけたまわりにおよばざるよし)、尤松前箱舘辺(あたり)乗廻し候儀も無之(これなし)、紅毛イキリス船は商いに参(まいり)候趣承(うけたまわり)候旨、番人共申立候由ニ御座候。

 但毛類、切レ類(きれるい)其外細工物、番人江相渡差遣(さしつかわす)候由に御座候。

右之趣ソウヤ詰(つめ=つめる、出勤して控えている。当直する、EG江戸詰め)支配向より今十九日申越(もうしこし)候間、早々申上候、猶追々可申上候(もうしあげるべくそうろう)、以上。

 六月十九日
                                戸川筑前守
                                羽太安芸守
先達而南部・津軽・松前・箱舘辺(あたり)相見(みえ)候異国船は、本文イキリス船にも可有之哉と奉存(ぞんじたてまつり)候。

2010年6月7日月曜日

坂野潤治 『未完の明治維新』

1、坂野潤治。
2、明治6——10年,政府四分五裂。
3,
西鄉隆盛:外征。 大久保利通(よしみち):殖產興業。木戶孝允(きど たかよし):憲法制定,立憲制移行。板垣退助(いたがき たいすけ):儘早設立民選議院。

2010年6月6日日曜日

《施米特与政治法学》

刘晓枫 主编 上海三联出版。 2002年。
Carl Schmitt

前言
1,如果战争在两方面都与敌对性的相对化脱不开干系,限制战争不是玩世不恭的游戏,就是发动一场狗咬狗的战争。《政治的概念》
2,科索沃之战,对“正义”战争的正当性的质疑。
3,政治的正当性的问题。
4,自由民主主义,社会民主主义——启蒙理性的产物——人的自然权利重构国家——依据:经验理性AND历史理性
5,自由主义政治哲学和法理学——遭到的攻击——统治法理基础之中的道德价值被抽空了。
6,道德问题,与自由主义政治哲学。
7,施米特,设计政治哲学——神学,法理学,思想史。
8,50年代,德国在美国的监督下订立波恩基本法,采纳了施米特30年代的一些观点。
A,议会多数,或人民主权不可更改自由民主宪法中的基本成分。
B,不能给与根本违背宪法中自由民主原则的政党以议会平等,必须对其实行党禁。
9,二十世纪霍布斯。

主要论著概述

1,《法律与判断:法律实践问题研究》,1912。学位论文,新康德主义色彩。把法律秩序描绘成动力性的静态系统,随时整合实际政治冲突导致的偏离;司法判断不是主权者意志的奴仆,而是由法律规范训练出来,按规范形式行事的自主的法官。
2,《国家的价值与个人的意义》,从书名看来还有自由主义色彩。
3,《多伯勒的长篇叙事诗〈北极光〉,三论其诗作的要素,精神和现实性》。施米特思想的开端。抨击现代的世俗化道德和政治。
4,《政治的浪漫派》,1919。成名作。开浪漫主义政治哲学研究先河,首次提出政治决断论的主张。
5,《论专政:从现代主权思想的肇兴到无产者的阶级斗争》。以史带论讨论自马基雅维利以来专政学说的历史沿革。
6,《政治的神学:主权学说四论》,1922。影响广泛的论著。并非神学论著,而是法理学论著,有很强的论战性,矛头对准实证法学代表凯尔森的规范法制论和无政府主义者巴枯宁的国家消亡论,这之中阐发了“主权决断论”。
7,《当今议会制的思想史状况》,1923,批评自由主义议会民主政制,讨论了议会民主制的法理学和政治学困难。议会民主制的思想原则是“公共辩论”和“公开性”,反对近代绝对主义国家的“国家秘术”论(马基雅维利),希望通过公共辩论和公开性寻求不同政治立场之间的“平衡”或“妥协”。但随着现代大众民主的发展,议会民主制的思想原则已经失去可信性。所谓的“公共辩论”是虚假的。利益集团支配了重大的政治决策,公开的民主政治成了新的秘密政治,一旦各种利益的政治力量无法达成“平衡”或“妥协”,议会民主制必然陷入危机。
8,《罗马天主教与政治形式》,1923。批评议会民主制的背景下阐发罗马天主教的政治代表制性质,攻击各种现代的“主义”学说为“经济思维”。
9,《政治的概念》,施米特最重要的政治哲学著作。“政治就是划分敌友。”
10,《宪法学说》,1928,施米特最具学术分量,篇幅最大的宪法论著。施米特的宪法学说根本上是要维护,巩固,而非推翻自由民主的魏玛宪法。
11,《中立化和非政治化时代》,施米特本人十分看重。现在更名《政治的概念》,通过分析近代以来在欧洲占主导地位的思想类型的历史嬗变,对现代的技术理论及其政治原则提出了尖锐批判。可与海德格尔《世界图景的时代》一文对勘。



1. 《四整个欧洲柯特的解》,1950,是除霍布斯研究之外另一思想史论著。

2. 《价的僭政:一个法学家哲学的思考》,1960。中译《基督教文化评论》,朱雁冰译。是一篇批评现代价值哲学,检讨法西斯主义起源的论文。施密特说,“价值”论不是某种学科的名称,毋宁说是整个现代文化和学术思想的精神特征。“价值”这个词本来是经济学中的用语,如此却成了哲学,法学,神学乃至各种社会科学的术语,与启蒙运动以后——尤其是法国大革命以后人本主义思想成为时代的“政治正确”有关。法国大革命的正当理由处于人的价值的宣称,随后欧洲各国订立自由民主宪法时,无不以人的价值为基本的政治正当性原则。

3. 《政治的神学续篇:取消所有政治神学的传说》,1970,施密特自称“法学的神学家”,其所有政治论著和法学论著都有神学痕迹。坚持从神学的立场来看待政治和公法学(宪法和国际法)问题,就是所谓的“政治的神学”。

4. 《词汇:1947—1951笔记》,施密特喜欢用古拉丁词,就像章太炎喜欢用三国前的字。

5. 20世纪30年代,日本学界就已经译介施米特,40年代还出现过广泛的研究施米特的兴趣,战后中断一段时期,60年代再兴,丸山真男早年受其影响。(王前)

施米特故事的各种讲法。

1. 政治思想的解释,学界有很大的歧义,基本上可分为左,右,自由三派。

2. Renato Cristi 《施米特与权威自由主义:强国家,自由经济》,Cardiff1998。是保守自由主义的施米特解释的代表。观点:施米特思想——强国家,自由经济。论据,1932年“致鲁尔钢铁工业家协会的公开信”,《强国家与健康经济》,《国家,大空间,法》。施米特在公开信中呼吁,工业巨头们放心,强权国家的政治方案要重建国内的统一秩序,防止内战,以便对方国家的敌人,绝对不会妨碍或干预他们要求的自由市场经济。事实上,国家的强权恰恰需要自由的市场经济来支持。 古典自由主义认为,强国家与自由经济不兼容,不可能同时主张强的国家主权和自由的公民社会。施密特认为是可能的,前提是区分主权的实体和运作。国家主权的运作在法律上受到规约和限制,而这一主权的全能实体则不受限制,它处于隐伏状态,在例外的紧急状态中才启用。

3,施密特追隨霍布斯,相信只有能做出强有力的决策的国家才能宣战,而国家是否强有力的证明在于能否决定敌友,保持敌友界限的张力。成熟的自由主義,既維護公民社會,同時承認主權國傢中政治專政的必要。這就是所謂保守的或權威的自由主義。

2010年6月5日土曜日

历史学与社会理论。 [英]彼得 伯克。

History and Social Theory 上海人民出版社。

中译本前言
1,伯克,剑桥,新文化史的旗手。代表《制作路易十四》(台湾出版)。《近代早期欧洲的民众文化》--人们普遍把精英文化和民众文化相割裂德生活,伯克寻找到了它们之间的联系。伯克认为,16,17世纪,精英文化和大众文化没有形成对立,精英文化分享着大众文化。
2,《制作路易十四》,研究太阳王的各种形象是如何创造接受和传播的。目标试图寻找这些形象之间的关系以及文化与社会之间的联系,尤其是上层人物与广大公众之间以及原创作中的文化信息与以后的接受者所附加的社会和心理因素。


2010年6月4日金曜日

2010年6月2日水曜日

国学入门要目及其读法 梁启超

两月前清华周刊记者以此题相属,蹉跎久未报命。顷独居翠微山中,行箧无一书,而记者督责甚急,乃竭三日之力,专凭忆想所及草斯篇,漏略自所不免,且容有并书名篇名亦忆错误者,他日更当补正也。
               中华民国十二年四月二十六日 启超作于碧摩岩翠山房


(甲)修养应用及思想史关系书类

《论语》《孟子》

  《论语》为二千来国人思想之总源泉,《孟子》自宋以后势力亦与相埒,此二书可谓国人内的外的生活之支配者,故吾希望学者熟读成诵,即不能,亦须翻阅多次,务略举其辞,或摘记其身心践履之言以资修养。

  《论语》、《孟子》之文,并不艰深,宜专读正文,有不解处,方看注释。注释之书,朱熹《四书集注》,为其生平极矜慎之作,可读,但其中有随入宋儒理障处,宜分别观之。清儒注本,《论语》则有戴望《论语》注,《孟子》则有焦循《孟子》正义最善。戴氏服膺颜习斋之学,最重实践,所注似近孔门真际,其训诂亦多较朱注为优,其书简洁易读。焦氏服膺戴东原之学,其孟子正义在清儒诸经新疏中为最佳本,但文颇繁,宜备置案头,遇不解时,或有所感时,则取供参考。

  戴震《孟子字义疏证》,乃戴氏一家哲学,并非专为注释《孟子》而作,但其书极精辟,学者终需一读,最好是于读《孟子》时并读之,既知戴学纲领,亦可以助读《孟子》之兴味。

  焦循《论语通释》,乃摹仿《孟子字义疏证》而作,将全部《论语》拆散,标准重要诸义,如言仁,言忠恕……等,列为若干目,通观而总诠之可称治《论语》之一良法且可应用其法以治他书。

  右两书篇页皆甚少,易读。

  陈沣《东塾读书记》中读《孟子》之卷,取《孟子》学说分项爬疏,最为精切,其书不过二三十页,宜一读以观前辈治学方法,且于修养亦有益。

《易经》

  此书为孔子以前之哲学书,孔子为之注解,虽奥衍难究,然总须一读。吾希望学者将《系辞传》、《文言传》熟读成诵,其卦象传六十四条,则用别纸钞出,随时省览。

  后世说《易》者言人人殊,为修养有益起见,则程颐之《程氏易传》差可读。  

  说《易》最近真者,吾独推焦循,其的著《雕菰楼易学》三书(《易通释》、《易图略》、《易章句》)皆称精诣,学者如欲深通此经,可取读之,否则可以不必。

《礼记》

  此书战国及西汉之“儒家言”丛编,内中有极精纯者,亦有极破碎者,吾希望学者将《中庸》、《大学》、《礼运》、《乐记》四篇熟读成诵,《曲礼》、《王制》、《檀弓》、《礼器》、《学记》、《坊记》、《表记》、《缁衣》、《儒行》、《大傅》、《祭义》、《祭法》、《乡饮酒义》诸篇 ,多游览数次,且摘录其精要语。

若欲看注解,可看《十三经注疏》内郑注孔疏。《孝经》之性质与《礼记》同,可当《礼记》之一篇读。

《老子》

  道家最精要之书,希望学者将此区区五千言熟读成诵。

  注释书未有极当意者,专读白文自行寻索为妙。

《墨子》

  孔墨在先秦时,两圣并称,故此书非读不可,除《备城门》以下各篇外,余篇皆宜精读。

  注释书以孙诒让《墨子间诂》为最善,读《墨子》宜照读此本。

  《经》上、下,《经说》上、下四篇,有张惠言《墨子经说解》及梁启超《墨经》两书可参观,但皆有未精惬处,《小取》篇有胡适新诂可参观。

  梁启超《墨子学案》属通释体裁,可参观助兴味,但其书为临时讲义,殊未精审。

《庄子》

  内篇七篇及杂篇中之《天下篇》最当精读。

  注释有郭庆藩之《庄子集释》差可。

《荀子》

  《解蔽》、《正名》、《天论》、《正论》、《性恶》、《礼论》、《乐论》诸篇最当精读,余亦须全部游览。

  注释书王先谦《荀子注》甚善。

《慎文子》 《慎子》 《公孙龙子》

  今存者皆非完书,但三子皆为先秦大哲,虽断简亦宜一读,篇帙甚少,不费力也。《分孙龙子》之真伪,尚有问题。

  三书皆无善注,《尹文子》、《慎子》易解。

《韩非子》

  法家言之精华,须全部游览(其特别应精读之诸篇,因手边无原书,?举恐遗漏,他日补列)。

  注释书王先谦《韩非子集释》差可。

《管子》

  战国末年人所集著者,性质颇杂驳,然古代各家学说存其是者颇多,宜一游览。

  注释书戴望《管子校正》甚好。

《吕氏春秋》

此为中国最古之类书,先秦学说存其中者颇多,宜游览。

《淮南子》

  此为秦汉间道家言荟萃之书,宜稍精读。

  注释书闻有刘文典《淮南鸿烈集解》颇好。

《春秋繁露》

  此为西汉儒家代表的著作,宜稍精读。

  注释书有苏舆《春秋繁露义证》颇好。

  康有为之《春秋董氏学》,为通释体裁,家参看。

《盐铁论》

  此书为汉代儒家法家对于政治问题对垒抗辩之书,宜游览。

《论衡》

  此书为汉代怀疑派哲学,宜游览。

《抱朴子》

  此书为晋以后道家言代表作品,宜游览。

《列子》

  晋人伪书,可作魏晋部玄学书读。

  右所列为汉晋以前思想界之重要著作,六朝隋唐间思想界著光采者为佛学其书目当别述之。以下举宋以后学术之代表书,但为一般学者节啬精力计,不愿多举也。

《近思录》 朱熹著,江永注

  读此书可见程朱一派之理学,其内容何如。

《朱子所谱·朱子论学要语》 王懋竑著

  此书叙述朱学全面目最精要,有条理。

  若欲研究程朱学派,宜读《二程遗书》及《朱子语类》,非专门斯业者可置之。

  南宋时与朱学对峙者尚有李东莱之文献学一派,陈龙川、叶水心之功利主义一派,及陆象山之心学一派,欲知其详,宜读各人专集;若观大略,可求诸《宋元学案》中。

《传习录》 王守仁语徐爰、钱洪德等记

  读此可知王学梗概。欲知其详,宜读《王文成公全书》。因阳明以知行合一为教,要合观学问事功,方能看出其全部人格,而其事功之经过,具见集中各文,故阳明集之重要,过于朱、陆诸集。

《明儒学案》 黄宗羲著

《宋元学案》 黄宗羲初稿,全祖望、王梓材两次续成

  此二书为宋元明三朝理学之总记录,实为创作的学术史。《明儒学案》中姚江、江右、王门、泰州、东林、戢山诸案最精善。《宋元学案》中象山案最精善;横渠、二程、东莱、龙川、水心诸案亦好;晦翁案不甚好;百源(邵雄)、涑水(司马光)诸案,失之太繁,反不见其真相;末附荆公(王安石)新学略最坏,因有门户之见,故为排斥。欲知荆公学术,宜看《王临川集》。

  此二书卷帙虽繁,吾总望学者择要游览,因其为六百年间学术之总汇,影响于近代甚深,且汇诸家为一编,读之不甚费力也。

  清代学术史,可惜尚无此等佳著。唐鉴之《国朝案小识》,以清代最不振之程朱学派为立脚点,偏狭固陋,万不可读;江藩之《国朝汉学师承记》、《国朝宋学渊源记》,亦学案体裁,较好,但江氏常识亦凡庸,殊不能叙出各家独到之处,万不得已,姑以备参考而已。启超方有事于《清儒学案》,汗青尚无期也。

《日知录》、《亭林文集》 顾炎武著

  顾亭林为清学开山第一人,其精力集注于《日知录》,宜一游览。读文集中各信札,可见其立身治学大概。

《明夷待访录》 黄宗羲著

  黄梨洲为清初大师之一,其最大贡献在两学案,此小册可见其政治思想之大概。

《思问录》 王夫之著

  王船山为清初大师之一,非通观全书,不能见其精深博大,但卷帙太繁,非别为系统的整理,则学者不能读,聊举此书发凡,实不足以代表其学问之全部也。

《颜氏学记》 戴望编

  颜习斋为清初大师之一,戴氏所编学记,颇能传其真。徐世昌之《颜李学》亦可供参考,但其所集《习斋语要》、《恕谷(李塨)语要》将攻击宋儒语多不录,稍失其真。

  顾、黄、王、颜四先生之学术,为学者所必须知,然其著述皆浩博,或散佚,不易寻?,启超行将为系统的整理记述,以饷学者。

《东原集》 戴震著

《雕菰楼集》 焦循著

  戴东原、焦里堂为清代经师中有清深之哲学思想者,读其集可知其学,并知其治学方法。

  启超所拟著之《清儒学案》,东原、里堂学两案,正在属稿中。

《文史通义》 章学诚著

  此书虽以文史标题,实多论学术流别,宜一读。

  胡适著《章实斋年谱》,可供参考。

《大同书》 康有为著

  南海先生独创之思想在此书,曾刊于《不忍杂志》中。

《国故论衡》 章炳麟著

  可见章太炎思想之一斑。其详当读章氏丛书。

《东西文化及其哲学》 梁漱冥著

  有偏宕处,亦有独到处。

《中国哲学史大纲》上卷 胡适著

《先秦政治思想史》 梁启超著

  将读先秦经部、子部书,宜鸹读此两书,可引起兴味,并启发自己之判断力。

《清代学术概论》 梁启超著

  欲略知清代学风,宜读此书。


(乙)政治史及其他文献学书类

《尚书》

  内中惟二十八篇是真,书宜精读,但其文佶屈赘牙,不能成诵亦无妨。余篇属晋人伪撰,一游览便足(真伪篇目,看启超所著《古书之真伪及其年代》,日内当出版)。

  此书非看注释不能解,注释书以孙星衍之《尚书今古文注疏》为最好。

《逸周书》

  此书真伪参半,宜一游览。

  注释书有朱右曾《逸周书集训校释》颇好。

《竹书纪年》

  此书现通行者为元、明人伪撰。其古本,清儒辑出者数家,王国维所辑最善。

《国语》 《春秋左氏传》

  此两书或本为一书,由西汉人析出,宜合读之。《左传》宜选出若干篇熟读成诵,于学文甚有益。

  读《左传》宜参观顾栋高《春秋大事表》,可以得治学方法。

《战国策》

  宜选出若干篇熟读,于学文有益。

《周礼》

  此书西汉末晚出,何时代人所撰,尚难断定,惟书中制度,当有一部分为周代之旧,其余亦战国秦汉间学者理想的产物,故总宜一读。

  注释书有孙诒让《周礼正义》最善。

《考信录》 崔述著

  此书考证三代史事实最谨严,宜一游览,以为治古史这标准。

《资治通鉴》

  此为编年政治史最有价值之作品,虽卷帙稍繁,总希望学者能全部精读一过。

  若苦干燥无味,不妨仿《春秋大事表》之例,自立若干门类,标治摘记作将来著述资料(吾少时曾用此法,虽无成书,然增长兴味不少)。

  王船山《读通鉴论》,批评眼光,颇异俗流,读通鉴时取以并读,亦助兴之一法。

《续资治通鉴》 毕沅著

  此书价值远在司马原著之下,自无待言,无视彼更优者,姑以备数耳。

  或不读正《资治通鉴》而读《九种纪事本末》,亦可,要之非此则彼,必须有一书经目者。

《文献通考》 《续文献通考》 《皇朝文献通考》

  三书卷帙浩繁,今为学者摘其要目:《田赋考》、《户口考》、《职役考》、《市籴考》、《征榷考》、《国用考》、《钱币考》、《兵考》、《刑考》、《经籍考》、《四裔考》,必不读;《王礼考》、《封建考》、《象纬考》,绝对不必读;其余或读或不读随人(手边无原书,不能具记其目,有漏略当校补)。

  各人宜因其所嗜,择类读之。例如欲研究经济史、财政史者,则读前七才考。余仿此。

  《马氏文献通考》本依仿杜氏《通典》而作。若尊创作,应《通典》。今舍彼取此者,取其资料较丰富耳。吾辈读旧史,所贵者惟在原料炉锤组织,当求之在我也。

《两汉会要》、《唐会要》、《五代会要》,可与《通考》合读。

《通志二十略》

  郑渔仲史识、史才皆迈寻常。《通志》全书卷帙繁,不必读,二十略则其精神所聚,必须游览,其中与《通考》门类同者或可省。最要者,《氏族略》、《六书略》、《七音略》、《校雠略》等篇。

《二十四史》

  《通鉴》、《通考》,已浩无涯涘更语及彪大之《二十四史》,学者几何不望而却走?然而《二十四史》终不可不读,其故有二:(一)现在既无满意之通史,不读《二十四史》,无以知先民活动之遗迹;(二)假令虽有佳的通史出现,然其书自有别裁。《二十四史》之原料,终不能全行收入,以故《二十四史》终久仍为国民应读之书。

  书既应读,而又浩瀚难读,则如之何,吾今试为学者拟摘读之法数条。

  其书皆大史学家一手著连,体例精严,且时代近古,向来学人诵习者众在学界之势力与六经诸子埒,吾辈为常识计,非一读不可。吾常希望学者将此四史之列传,全体游览一过,仍摘出若干篇稍为熟读,以资学文之助,因四史中佳文最多也(若欲吾举其目亦可,但手边无原书,当以异日)。四史之外,则《明史》共认为官修书中之最佳者,且时代最近,亦宜稍为详读。

  二曰就事分类而摘读志。例如欲研究经济史、财政史,则读《平准书》、《食货志》;欲研究音乐,则读《乐书》、《乐志》;欲研究兵制,则读《兵志》;欲研究学术史,则读《艺文志》、《经籍志》,附以《儒林传》;欲研究宗教史,则读《北魏书·释老志》(可惜他史无之)。每研究一门,则通各史此门之志而读之,且与《文献通考》之此门合读。当其读时,必往往发现许多资料散见于各传者,随即跟踪调查其传以读之,如此引申触类,渐渐便能成为经济史、宗教史……等等之长编,将来荟萃而整理之,便成著述矣。

  三曰就人分类而摘读传。读名人传记,最能激发人志气且,于应事接物之智慧,增长不少,古人所以贵读史者以此。全史各传既不能遍读(且亦不必),则宜择伟大人物之传读之,每史亦不过二三十篇耳。此外又可就其所欲研究者而择读,如欲研究学术史,则读《儒林传》及其他学者之专传;欲研究文学史,则读《文苑传》及其他文学家之专传。用此法读去,恐之患其少,不患其多矣。

  又各史之《外国传》、《蛮夷传》、《土司传》等,包含种族史及社会学之原料最多,极有趣,吾深望学者一读之。

《廿二史札记》 赵翼著

  学者读正史之前,吾劝其一游览此书。记称“属辞比事《春秋》之教”,此书深进“比事”之决,每一个题目之下,其资料皆从几十篇传中,零零碎碎觅出,如采花成蜜。学者能用其法以读史,便可养成著术能力(内中校勘文学异同之部约占三分一,不读亦可)。

《圣武记》 魏源著

《国朝先正事略》 李元度著

  清朝一代史迹,至今尚无一完书可读,最为遗憾,姑举此二书充数。魏默深有良史之才,《圣武记》为纪事本末体裁,叙述绥服蒙古、勘定金川、抚循西藏……诸役,于一事之原因结果及其中间进行之次序,若指诸掌,实罕见之名著也。李次青之《先正事略》,道光以前人物略具,文亦有法度,宜一游览,以知最近二三百年史迹大概。

  日本人稻叶君山所著《清朝全史》尚可读(有译本)。

《读史方舆纪要》 顾祖禹著

  此为最有组织的地理书,其特长在专论形势,以地哉为经,以史迹为纬,读之不感干燥。此书卷帙虽多,专读其叙论(至各府止),亦不甚费力,且可引起地理学兴味。

《史通》 刘知几著

此书论作史方法,颇多特识,宜游览。章氏《文史通义》,性质略同,范围较广,已见前。

《中国历史研究法》 梁启超著

  读之可增史不兴味,且知治史方法。


(丙)韵文书类

《诗经》

  希望学者能全部熟读成诵,即不尔,亦须一大部分能其词。注释书,陈奂《诗毛氏传疏》最善。

《楚辞》

  屈、宋作宜熟读,能成诵最佳,其余可不读。注释书,朱熹《楚辞集注》较可。

《文选》

  择读。

《乐府诗集》 郭茂倩编

  专读其中不知作者姓名之汉古辞,以见魏六朝乐府风格,其他不必读。

  魏晋六朝人诗宜读以下各家:

曹子建 阮嗣宗 陶渊明 谢康乐 鲍明远 谢玄晖

无单行集者,可用张淳《汉魏百三家集本》,或王闓运《五代诗选本》。

《李太白集》 《杜工部集》 《王右丞集》 《孟襄阳集》 《韦苏州集》 《高常侍集》 《韩昌黎集》 《柳河东集》 《白香山集》 《李义山集》 《王临川集》(诗宜用李璧注本) 《苏东坡集》 《元遗山集》 《陆放翁集》

  以上唐宋人诗文集

《唐百家诗选》 王安石选

《宋诗钞》 吕留良钞

  以上唐宋诗选本

《清真词》(周美成) 《醉翁琴趣》(欧阳修) 《东坡乐府》(苏轼) 《屯田集》(柳永) 《淮海词》(秦观) 《樵歌》(朱敦儒) 《稼轩词》(辛弃疾) 《后村词》(刘克庄) 《石道人歌曲》(姜夔) 《碧山词》(王沂孙) 《梦窗词》(吴文英)

  以上宋人词集

《西厢记》 《琵琶记》 《牡丹亭》 《桃花扇》 《长生殿》

  以上元明清人曲本

  本门所列书,专资学者课余讽诵,陶写情趣之用既非为文学专家说法,尢非为治文学史者说法,故不曰文学类,而曰文类。文学范围,最少应包含古文(骈散文)及小说。吾以为苟非欲作文学专家,则无专读小说这必要;至于古文,本不必别学,吾辈总须读周秦诸子、《左传》、《国策》、四史、《通鉴》及其关于思想、关于记载之著作,苟能多读,自能属文,何必格外标举一种,名曰古文耶?故专以文鸣之文集不复录(其余学问有关系之文集,散见各门)。《文选》及韩、柳、王集聊附见耳。学者如必欲就文求文,无已,则姚鼐之《古文辞类纂》、李兆洛之《骈体文钞》、曾国藩之《经史百家杂钞》可用也。

  清人不以韵文见长,故除曲本数部外,其余诗词皆不复列举,无已,则于最初期与最末期各举诗词家一人:吴伟业之《梅村诗集》与黄尊宪之《人境庐诗集》、成德之《饮水词》与文焯之《樵风乐府》也。


(丁)小学书及文法类书

《说文解字注》 段玉裁著

《说文通训定声》 朱骏声著

《说文释例》 王筠著

  段著为《说文》正著,朱注明音与义之关系,王著为《说文》通释,读此三书,略可通《说文》矣。

《经传释词》 王引之著

《古书疑义举例》 俞樾著

《文通》 马建忠著

  读此三书,可知古人语法文法。

《经籍纂诂》 阮元著

  此书汇集各字之义训,宜置备检查。

  文字音韵,为清儒最擅之学,佳书林立,此仅举入门最要之数种,若非有志研究斯学者,并此诸书不读亦无妨也。


(戊)随意涉览书类

  学问固贵专精,又须博览以辅之。况学者读书尚少时,不甚自知其性所近者为何。随意涉览,初时并无目的,不期而引起问题,发生兴趣,从此向某方面深造研究,遂成绝业者,往往而有也。吾固杂举有用或有趣之各书,供学者自由翻阅之娱乐。

  读此者不必顺叶次,亦不必求终卷者(各书亦随忆想所及杂举,无复诠次)。

《四库全书总目提要》

  清乾隆间四库馆,董其事者皆一时大学者,故所作提要,最称精审,读之可略见各书内容(中多偏至语自亦不能免)。宜先读各部类之叙录,其各书条下则随意抽阅。

  有所谓存目者,其书被屏,不收入四库者也,内中颇有怪书,宜稍注意读之。

《世说新语》

  将晋人谈玄语分类纂录,语多隽妙,课余暑假之良伴侣。

《水经注》 郦道元撰,戴震校

  六朝人地理专书,但多描风景,记古迹,文辞华妙,学作小品文最适用。

《文心雕龙》 刘勰撰

  六朝人论文书,论多精到,文亦雅丽。

《大唐三藏慈恩法师传》 慧立撰

  此为玄奘法师详传。玄藏为第一位留学生,为大思想家,读之可以增第志气。

《徐霞客游记》

  霞客晚明人,实一大探险家,其书极有趣。

《梦溪笔谈》 沈括

  宋人笔记中含有科学思想者。

《困学纪闻》 王应麟撰,阎若璩注

  宋人始为考证学者,顾亭林《日知录》颇仿其体。

《通艺录》 程瑶田撰

  清代考证家之博物书。

《癸巳类稿》 俞正燮撰

  多为经学以外之考证,如考棉花来历,考妇人缠足历史,辑李易安事迹等;又多新颖之论,如论妒非妇人恶德等。

《东塾读书记》 陈沣撰

  此书仅五册,十余年乃成,盖合数十条笔记之长编,乃成一条笔记之定稿,用力最为精苦,读之可识搜集资料,及驾驭资料之方法。书中《论郑学》、《论朱学》、《论诸子》、《论三国》诸卷最善。

《庸盦笔记》 薛福成

  多记清咸丰、同治间掌故。

《张太岳集》 张居正

  江陵为明名相,其信札益人神智,文章亦美。

《王心斋先生全书》 王艮

  吾常名心斋为平民的理学家,其人有生气。

《朱舜水遗集》 朱之瑜

  舜水为日本文化之开辟人,惟一之国学输出者,读之可见其人格。

《李恕谷文集》 李塨

  恕谷为习斋门下健将,其文劲达。

《鲒琦亭集》 全祖望

   集中记晚明掌故甚多。

《潜研堂集》 钱大昕

  竹汀在清儒中最博洽者,其对伦理问题,亦颇有新论。

《述学》 汪中

  容甫为治诸子学之先登者,其文格在汉晋间,极遒美。

《洪北江集》 洪亮吉

  北江之学,长于地理,其小品骈体文,描写景物,美不可言。

《定盦文集》 龚自珍

  吾少时心醉此集,今颇厌之。

《曾文正公全集》 曾国藩

《胡文忠公集》 胡林翼

  右二集信札最可读,读之见其治事条理及朋友风义。曾涤生文章尤美。桐城派之大成。

《苕溪渔隐丛话》 胡仔

  丛话中资料颇丰富。

《词苑丛谈》 徐钪(?)

  惟一之词话,颇有趣。

《语石》 叶昌炽

  以科学方法治金石学,极有价值。

《书林清话》 叶德辉

  论列书源流及藏书掌故,甚好。

《广艺舟双辑》 康有为

  论写定字,极精博,文章极美。

《剧说》 焦循

《宋元戏曲史》 王国维

  二书论戏剧,极好。

  即谓之涉览,自然无书不可涉,无书不可览,本不能胪举书目,若举之非累数十纸不可。右所列不伦不类之寥寥十余种,随杂忆所及当坐谭耳,若绳经义例,则笑绝冠缨矣。


附录一 最低限度之必读书目

  右所列五项,倘能依法读之,则国学根柢略立,可以为将来大成之基矣。惟青年学生校课既繁,所治专门别有在,恐仍不能人人按表而读。

  今再为拟一真正之最低限度如下:

《四书》、《易经》、《书经》、《诗经》、《礼记》、《左传》、《老子》、《墨子》、《庄子》、《荀子》、《韩非子》、《战国策》、《史记》、《汉书》、《后汉书》、《三国志》、《资治通鉴》(或《通鉴纪事本末》)、《宋元明史纪事本末》、《楚辞》、《文选》、《李太白集》、《杜工部集》、《韩昌黎集》、《柳河东集》、《白香山集》。其他词曲集随所好选读数种。

  以上各书,无论学矿、学工程报……皆须一读,若并此未读,真不能认为中国学人矣。


附录二 治国学杂话

  学生做课外学问是最必要的,若只求讲堂上功课及格,便算完事,那么,你进学校,只是求文凭,并不是求学问,你的人格,先已不可问了。再者,此类人一定没有“自发”的能力,不特不能成为一个学者,亦断不能成为社会上治事领袖人才。

  课外学问,自然不专指读书,如试验,如观察自然界……都是极好的,但读课外书,至少要算课外学问的主要部分。

  一个人总要养成读书兴味。打算做专门学者,固然要如此,打算做事业家,也要如此。因为我们在工厂里、在公司里、在议院里……做完一天的工作出来之后,随时立刻可以得着愉快的伴侣,莫过于书籍,莫便于书籍。

  但是将来这种愉快得着得不着,大概是在学校时代已经决定,因为必须养成读书习惯,才能尝着读书趣味。人生一世的习惯,出了学校门限,已经铁铸成了,所以在学校中,不读课外书,以养成自己自动的读书习惯,这个人,简直是自己剥夺自己终身的幸福。

  读书自然不限于读中国书,但中国人对于中国书,至少也刻和外国书作平等待遇。你这样待遇他,给回你的愉快报酬,最少也和读外国书所得的有同等分量。

  中国书没有整理过,十分难读,这是人人公认的,但会做学问的人,觉得趣味就在这一点。吃现成饭,是最没有意思的事,是最没有出息的人才喜欢的。一个问题,被别人做完了四平八正的编成教科书样子给我读,读去自然是毫不费力,但是从这不费力上头结果,便令我的心思不细致不刻入。专门喜欢读这类收的人,久而久之,会把自己创作的才能汨没哩。在纽约、芝加哥笔直的马路崭新的洋房里舒舒服服混一世,这个人一定是过的毫无意味的平庸生活。若要过有意味的生活,须是哥伦布初到美洲时时。

  中国学问界,是千年未开的矿穴,矿苗异常丰富,但非我们亲自绞脑筋绞汗水,却开不出来。翻过来看,只要你绞一分脑筋一分汗水,当然还你一分成绩,所以有趣。

  所谓中国学问界的矿苗,当然不专指书籍,自然界和社论实况,都是极重要的,但书籍为保存过去原料之一种宝库,且可为现在各实测方面之引线,就这点看来,我们对于书籍之浩瀚,应刻欢喜谢他,不应刻厌恶他。因为我们的事业比方要开工厂,原料的供给,自然是越丰富越好。

   读中国书,自然像披沙拣金,沙多金少,但我们若把他作原料看待,有时寻常人认为极无用的书籍和语句,也许有大功用。须知工厂种类多着呢,一个厂里头得有许多副产物哩,何止金有用,沙也有用。

  若问读书方法,我想向诸君上一个条陈。这方法是极陈旧的,极笨极麻烦的,然而实在是极必要的。什么方法呢?是钞录或笔记。

  我们读一部名著,看见他征引那么繁博,分析那么细密,动辄伸着舌头说道:“这个人不知有多大记忆力,记得许多东西,这是他的特别天才,我们不能学步了。”其实那里有这回事。好记性的人不见得便有智慧,有智慧的人比较的倒是记性不甚好。你所看见者是他发表出来的成果,不知他这成果原是从铢积寸累困知勉行得来。大抵凡一个大学者平日用功总是有无数小册子或单纸片,读书看见一段资料觉其有用者即刻钞下(短的钞全文,长的摘要记书名卷数页数)。资料渐渐积得丰富,再用眼光来整理分析他,便成为一篇名著。想看这种痕迹,读赵瓯北的《二十二史札记》、陈兰甫的《东塾读书记》最容易看出来。

  这种工作笨是笨极了,苦是苦极了,但真正做学问的人总离不了这条路。做动植物的人懒得采集标本,说他会有新发明,天下怕没有这种便宜事。

  发明的最初动机在注意,钞书便是促醒注意及继续保存注意的最好方法。当读一书时,忽然感觉这一段资料可注意,把他钞下,这件资料自然有一微微的印象印入脑中,和滑眼看过不同。经过这一番后,过些时碰着第二个资料和这个有关系的,又把他钞下。那注意便加浓一度。经过几次之后,每翻一书,遇有这项资料,便活跳在纸上,不必劳神费力去找了。这是我多年经验得来的实况。诸君试拿一年工夫去试试,当知我不说谎。

  先辈每教人不可轻言著述,因为未成熟的见解公布出来,会自误误人,这原是不错的,但青年学生“斐然当述作之誉”,也是实际上鞭策学问的一种妙用。譬如同是读《文献通考》的《钱币考》,各史《食货志》中钱币项下各文,泛泛读去,没有什么所得,倘若你一面读一面便打主意做一篇中国货币沿革考,这篇考做的好不好另一问题,你所读的自然加几倍受用。

  譬如同读一部《荀子》,某甲泛泛读去,某乙一面读一面打主意做部《荀子学案》,读过之后,两个人的印象深汪浅,自然不同。所以我很奖励青年好著书的习惯,至于所著的书,拿不拿给人看,什么时候才认成功,这还不是你的自由吗?

  每日所读之书,最好分两类,一类是精熟的,一类是涉览的。因为我们一面要养成读书心细的习惯,一面要养成读书眼快的习惯。心不细则毫无所得,等于白读;眼不快则时候不够用,不能博搜资料。诸经、诸子、四史、通鉴等书,宜入精读之部,每日指定某时刻读他,读时一字不放过,读完一部才读别部,想钞录的随读随钞;另外指出一时刻,随意涉览,觉得有趣,注意细看,觉得无趣,便翻次页,遇有想钞录的,也俟读完再钞,当时勿窒其机。

  诸君勿因初读中国书,勤劳大而结果少,便生退悔。因为我们读书,并不是想专向现时所读这一本书里讨现钱现货的,得多少报酬,最要紧的是涵养成好读书的习惯,和磨炼出好记忆的脑力。青年期所读各书,不外借来做达这两个目的的梯子。我所说的前提倘若不错,则读外国书和读中国书当然都各有益处。外国名著,组织得好,易引起兴味,他的研究方法,整整齐齐摆出来,可以 做我们模范,这是好处;我们滑眼读去,容易变成享现成福的少爷们,不知甘苦来历,这是坏处。中国书未经整理,一读便是一个闷头棍,每每打断兴味,这是坏处;逼着你披荆斩棘,寻路来走,或者走许多冤枉路(只要走路断无冤枉,走错了回头,便是绝好教训),从甘苦阅历中磨炼出智慧,得苦尽甘来的趣味,那智慧和趣味都最真切,这是好处。

  还有一件,我在前项书目表中有好几处写“希望熟读成诵”字样,我想诸君或者以为甚难,也许反对说我顽旧,但我有我的意思。我并不是奖劝人勉强记忆,我所希望熟读成诵的有两种类:一种类是是最有价值的文学作品,一种类是有益身心的格言。好文学是涵养情趣的工具,做一个民族的分子,总须对于本民族的好文学十分领略,能熟读成诵,才在我们的“下意识”里头,得着根柢,不知不觉会“发酵”。有益身心的圣哲格言,一部分久已在我们全社会上形成共同意识,我既做这社会的分子,总要彻底了解他,才不至和共同意识生隔阂,一方面我们应事接物时候,常常仗他给我们的光明,要平日摩得熟,临时才得着用,我所以有些书希望熟读成诵者在此,但亦不过一种格外希望而已,并不谓非如此不可。

  最后我还专向清华同学诸君说几句话,我希望诸君对于国学的修养,比旁的学校学生格外加功。诸君受社会恩惠,是比别人独优的,诸群君将来在全社会上一定占势力,是眼看得见的。诸君回国之后,对于中国文化有无贡献,便是诸君功罪的标准。

  任你学成一位天字第一号形神毕肖的美国学者,只怕于中国文化没有多少影响。若这样便有影响,我们把美国蓝眼睛的大博士抬一百几十位来便够了,又何必诸君呢?诸君须要牢牢记着你不是美国学生,是中国留学生。如何才配叫做中国留学生,请你自己打主意罢。