2010年4月27日火曜日

保谷 『魯人再掠蝦夷一件』を読むために

一、世界史のなかの「北方紛争」

1. 再掠(さいりゃく) 蝦夷(えぞ)
2. 木村和男(かずお)『北太平洋の「発見」−−毛皮交易とアメリカ太平洋岸の分割−−』
何故ラクスマンやレザノフが日本に来たのか?−−北太平洋支配の問題から考える−−「列強による北太平洋争奪戦の直接の動機はラッコ(海濑)毛皮の獲得にあった」
3. ベーリングの探検と元文の黒船(1739年)。
4. 布连斯奇条约(Treaty of Kiakhta),俄方称恰克图条约。中俄边境的皮毛(黑貂 クロテン)贸易。
6. 露米会社ーーレザノフーー北米の版図。
7. トルデシリャス条約 (托尔德西里亚斯条约)
8. 1789年,ヌートカ湾協定——英国は北太平洋に利権を確保、現在の北米カナダ(東西横断)につながる。

二、「魯人再掠蝦夷一件」
1. 大目付(おおめつけ、老中に属し、大名・高家および朝廷を監視してこれらの謀反から幕府を守る監察官の役割を持った)、中川忠英(ただてる 1751〜1830)
2. 文化4年6月、蝦夷地へ出張し事後処理と情報収集にあたる。
3. 1877年、中村子孫より外務省へ寄贈。

三 ゴロヴニンがみた日本「日本幽囚記」

 日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もいない。日本の法律はめったに変わらないが、その要点はおおきな板に書いて、町々村々の広場や人目にたつ場所に掲示されるのである。
。。。。だから庶民にとってはこれ以上、開化の必要は少しもないのである。
などなど

ゴロヴニン 著  井上満 訳 『日本幽囚記』(岩波文庫、1943年)

19世紀初頭、日露間の紛争の中で2年余にわたって囚われの身となったゴロヴニン(1776〜1833)の手記である。

引用部分は、第三編「日本国および日本人論」の1節であり、日本国民の教育水準の高さや勤勉な国民性、潜在能力について述べている。こうした日本人観察は他の観察記事にもみられることだが、ゴロヴニンは戦争に明け暮れる西洋文明をよしとせず、日本の鎖国政策を支持して「この正当で正直な国民をからかう様なことをしてはならぬ」と主張している点に特徴がある。この見地から、もし日本が「人類の絶滅に役立つ(戦争のこと)。。。。ヨーロッパ式の文明の方法」を採用した場合には、いずれ周辺諸国や「ヨーロッパ人にとって危険な国民」になると考えたのであり、この予測は実際当っていたともいえる。この点で忘れてならないのは、ゴロヴニンが日本を本文にも登場する平兵卒が闊歩する社会だと認識した点である。
西洋では下級身分であるのに、日本では教養もあって社会的尊敬をうける世襲身分、これはとりもなおさず“武士身分の支配”に注目したことなのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿