『常民文化論』 色川大吉 第三巻 筑摩書房
柳田国男の常民文化論
1. 柳田国男――一般の人々にも広く読まれる――秘密の一つは、詩情、詩的想像力
2. 詩人であって学者であった人、それがこれから述べる柳田の長所にも短所にもなっている。
3. 柳田の文章が論理的でないというのではない。いわゆる論理学の約束を無視していることは確かなのだ……
4. 事物の関連に対して彼の洞察がするどく、その発想が人々の意表をついて自由で絶妙なためであろう。――軽い随筆と思って読んでいると、とんでもない深遠な結論に導かれることが多い。
5. 日本の民衆精神史の未踏の領域に、はじめて体系的な観察の方法を用意して踏み入ったこの魂の探検家に対して、現代の読者が心を揺るさぶられるのには道理がある。
6. 高度経済成長――日本の国土と伝統文化の破壊――危機意識――共同体を壊され――砂漠のような都会の孤独
7. 「山人」研究の作業仮説
8. 日本人の起源に関する次のような壮大な構想を描きはじめたようである。つまり、日本人は単系の民族ではない。日本列島には稲作民族が到着する以前に狩猟を主にしていた先住民があり、その先住民がしだいに駆逐されて、殺されたり征服されたりしたが、多くの者は山中に逃げ込み、やがて大半は里に下って常民に混同し、残りは山に留まって「山人」と呼ばれたと想定した。
9. 柳田はそれらの生き残りの「山人」たちに対する同情と好奇心から、彼ら先住民を国津神の後裔と見做して、その伝承資料の収集に熱中するとともに、支配民族となった渡来者たちを、天津神系統のものと見做して、これを相対化する視点を打ち立てたのである。
10. 「常民」は先住民(縄文人か)と稲作民(弥生人か)との複合として捉えられており、その限りで「山人」とは敵対的対立にはないと掴まれている点である。
11. 柳田の常民概念は複雑だといわざるをえない。
12. 私たちが歴史分析などによく使う「底辺民衆」「最底辺民衆」という概念と「常民」とをくらべてみるとき、前者は支配・被支配の関係を前題とした人民的な思想性をひきだす政治的、社会的な概念であるのに対し、後者は民間伝承を主にとして担う文化概念であるところに大きな違いがある。
13. 南島は稲作民の渡来の通路であり、南島民は常民であり、日本人とは本家と分家の関係にあることを柳田は主張していた。それは「海南小記」にはじまり死の前年の『海上の道』まで一貫している。
14. 日本人の共同感情を根源まで遡ろうとする情熱が彼をとらえる。それは日本人の最大公約数である常民の生活慣行や伝承を調べるほかはない。
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