2011年7月4日月曜日

尾藤正英 『日本封建思想史研究――幕藩体制の原理と朱子学的思惟』

尾藤正英 『日本封建思想史研究――幕藩体制の原理と朱子学的思惟』  青木書店  1966年

まえがき

1. マイネッケ (Friedrich Meinecke、1962~1954)『近代史における国家理性の理念』(汉语译本《马基雅维里主义》) 国家理性と道徳及び法との相克――仮借するところない国家理性は、本来罪悪である、
2. 国家理性――個体としての国家の行動の基準――現実的顧慮と道徳的責任の顧慮、
3. 近代的な国民国家、国家による権力の独占VS国家の内部における階級対立。国家理性と個人の自由、公共の福祉と基本的人権――矛盾する概念として自覚される。
4. 近代的人権の保障成文法の淵源――封建的契約にもとづく権利の保障――社会契約説、封建的契約の理念からの類推によって成立。
5. 東洋社会の中にありながら、最も西欧に近似した封建制度をもったと称せられている日本についても、同様の事態をわれわれは物語ることができるのであろうか?
6. 朝河 貫一 (あさかわ かんいち1873~1948)古代から近代に至る日本法制史、日本とヨーロッパの封建制度比較研究の第一人者として欧米で評価され。『入来文書』――「日本は、公正と政治的自由との諸原則を、みずからの封建性から学ぶことなく、ヨーロッパから大いに学ばなければならなかった。日本封建制の近代への貢献は、封建的契約からではなく、武士の訓練された忠誠と、農民と従順性および経済的な平等性とから、出たものである。」
7. 日本における封建制の西欧的性格について、われわれの抱いている通念は、果たして正確なものであるのだろうか?

8. 西欧の中世における政治的・道徳的な思惟形態を、神的理性にもとづく「古き善き法」の支配という、キリスト教的自然法の理念によって代表させることができるとすれば、われわれの世界においてそれに対応すべきものは、まず朱子学の思想にふくまれた自然法的思惟に求められよう。その朱子学の思想が日本社会の中で辿った運命を追求することにより、それとの関係において、日本における封建的思惟の有り方を、さらに封建制そのものの有り方を、解明することはできないであろうか。このような問題関心が、本書に収められた論文の成立を一貫して支えてきたものであった。

9. 普遍的人間性に道徳の根拠をおくことを標榜した、自然法的思想を対象とするに当たっては、それが実際に普遍的思想としての価値をもちえたか否かを、つねに考慮しなければならなかった。普世价值
10. 右のような問題関心にもとづく研究は、中世的・封建的思惟の歴史意義に関する、一種の復権の試みである、ということができる、ということができるが、この種の主張は、現在の学界における常識に対して、多くの点で逆らうことを予想しなければならない。
11. 徂徠の思想において、社会秩序を作為すべき主体と考えられたものは、政治的君主のみであり、むしろその君主の絶対性を強化することに主眼が置かれていた。近代化の歴史的順序として、まずその絶対君主の政治的主体性が登場し、やがてその主体性がすべての国民に拡大される、従って徂徠の作為説から、社会契約説(人作説)へ展開する可能性があった、と丸山氏はかんがえておられるようであるが、この点には、疑問がある。絶対君主のみの主体性と国民のそれとを、同質のものとみてよいであろうか。基本的人権の理念が成立しうるのは、後者からのみであって、前者からではありえないであろう。従って絶対君主の政治的主体性と、国民一般のそれとは、本来対立すべき性格のものであり――西欧における政治理念の近代化は、その二つの契機の対立と葛藤の様相において進行した、とみるべきではあるまいか。丸山氏がこの対立性を無視せられたのは、日本史上において、その対立する契機の存在が明確でないためであり、要するに日本の近代化の特殊性を一般化された結果であると思われる。
12. 朱子学的自然法思想が、本格的に受容されることができなかった。その挫折の理由についての解明を、意図したものにほかならない。
13. 朱子学的自然法の思想が、そのまま近代的政治理念として機能しうる、などと主張するつもりはなく、それ自体の近代的転化の可能性については、別個の考察が必要である。

14. 学問的視野を限定する場合はともかくとして、本来「あれか、これか」といった選択の対象となるべき性質のものとは考えられないからである。
15. 朱子学と西欧の自然法的思想とを、簡単に同質のものとみなしてよいかどうか、の点にも重大な疑問が残る。

0 件のコメント:

コメントを投稿