2010年5月5日水曜日

吉田松陰  藤田省三

吉田松陰

1. 天保元年1830……安政六年1859。
2. 名,矩方(のりかた)。通称,寅次郎(とらじろう)。号,松阴,又号二十一回猛士。
3. 倡,尊王攘夷。
4. 1856《七生说》,“倡心不灭而理亦不灭”。
5. 《诀别书》,“近日正三位源公以七生灭贼四字见赐”。
6. 《与入江杉藏书》“吾曾读王阳明《传习录》,颇觉有味,倾得《李氏焚书》,亦阳明派,言言当心。向借日孜以《洗心洞札记》,大盐亦阳明派,取观为可。然吾非事阳明学,但其学真,往往与吾真会耳。”
7. 1859年7月。《与高杉晋作书》“贵问曰丈夫所可死如何?仆去冬以来,死之一字大有发明,《李氏焚书》之功为多,其说甚长,约而言之,死非可好,亦非可恶,道尽心安,便是死所。世有身死而心死者,有身亡而魂存者;心死,生无益也,魂存,亡无损也。”
8. 松下村塾(しょうかそんじゅく),门生,久坂玄瑞(くさかげんずい),高杉晋作(たかすぎしんさく),伊藤博文(いとうひろぶみ),山县有朋(やまがたありとも)
9. 间部诠胜(まなべあきかつ)暗杀计划。


藤田省三  『書目撰定理由――松陰の精神史的意味に関する一考察――』 1978年



1. 「配分的正義」、吉田为何单独一册?因为,知名度高,左(改革)右(尊攘)中(对其纯真的同情)都喜欢。
2. 藤田“今日の文化的状況の中で松陰の巻を担当するについて、終始、消極的であった私。”why?消極的??
3. 松陰  A、殉難の態度、精神的集中の強度。B、Aは失敗と蹉跌を経るたびにいよいよ強く収斂――刑死へとまっしぐらに直進。C、覚悟の徹底。 -- 合理性の欠席。
4. 松阴非“古典”意义上的“思想家”。Why??「世界に対する徹底的な考察的態度」が恐らく欠けていた。这是与象山的大不同。
5. 松陰は考察の人ではなくて行動の人であり、構成の人ではなくて気概の人であり、全てのものについて距離を維持することに不得意であって状況の真只中に突入していくことを得意とした人であった。――松陰の書くものは、彼自身の精神状況と行動様式を直接的に物語る。すべて彼の自伝的な性質(失敗をその失敗の現場で書き記す)を帯びる。
6. 徳富蘇峰『吉田松陰』、関根悦郎『吉田松陰』――松陰の悲劇的な生涯の持っている歴史的意味や彼が体現した悲喜劇の精神的意味については、右に上げた二つの傑作。
7. 傑作、松陰の思想を思想という形だけで把えようとしたり松陰の存在を個人的なものとして記述したのでは、彼の存在とその運命が持った意味は決して明らかにはならない。それほどかれは徹底的に状況的な存在。彼の思索は少しも思索としての成熟をもっていなかったし、かれの行動方針は殆どつねに手段の勘案において軽率であった。そしてその点においても彼は彼の時代の状況的特質を体現していたのである。
8. 「制度的なもの」、「型」を備えたもの、「恒数的なもの」が崩壊し去った社会状態を示している。社会的行動に当って期待通りの反応を予測させうるような「秩序的な関係」が社会の中から消え失せて、「変数」相互の測るべからざる衝突や結合が社会の主たる動向となって来るのが「状況的」社会状態なのである。
9. 「黒船」事件、京都宮廷と諸侯とに「何をなすべきか」と相談――実質的な「決断権」の放棄、諸勢力を「統合」して来た幕府権力の「統合能力」喪失の事実による声明であった。諸勢力に自由な政治行動の権利を与え、諸論の沸騰への点火者となった。
10. 「安政の大獄」、状況化の最後的の転轍器。
11. 幕府が徹頭徹尾「行き懸り」に縛られながら一段一段と新しい自滅的手段を選んでいたのと対極的に、松陰は歴史的「行き懸り」を一つずつ次々と犯し破ることを通して自分の崩壊をもたらし、その自分の崩壊によって社会の決定的な崩壊の象徴となったのである。 ――崩壊説。Benjaminの崩壊論。
12. 法律と習慣と規則にたいする彼の冒涜と犯行は、それらの制度によって成り立っている者にたいする無類の忠義心と、際立った矛盾を示しながら彼の中に共在していた。
13. 「諌め」の哲学、自分の自覚的な犯行は忠義のために行った。――真の忠義。(日本二战时,天皇宣布投降,有人不投降也是同样的理由。)
14. かれの忠義は誰それへの忠義というよりも国への忠義として、愛国者の精神態度として働いたのでもあった。
15. 彼は「学」や「思想」の体系性や構造性を無視し冒涜しながら、しかも「学」への律儀な忠実さをもって抄録作業に勤しんだのだった。
16. 忠義の哲学、愛国的態度、夷狄の哲学、

20.松陰は変数の一つの変数。「X」
21.松陰の普遍の意味。A 「異議申し立て」の精神 + B 団体意識の迷夢を破る「横議・横行」(藩境を越えて横に拡がる。縦の「境壁」をも乗り越える)なのであった。――日本社会の自己批判の一環

二、

1、藤田的目的。对已存的“虚构”的松阴像的消解。作为事实的松阴像。counterbanlance。彼が体系的思想家であったかの如き固定観が数十年のうちに出来上がって来ているように見える現状を一層促進しかねない方法に反した遣り方を採った方が、真実に迫るためのカウンター・バランス(対立均衡)として役にたつのではないだろうか。
2.「書簡集」を中心に収録。why、书信有助于直接表达真实和感情。 未分化で原始的な全体的記録――怖さと興味深さ。
3. 空疎と化しつつあった諸学派のどれかの内に埋没して理屈合せの遊戯に耽ることなく逆に諸学派のなかに原初的な事実を求めて「横断旅行」することを可能にしたのであった。「本を読む者はその精力の半分を筆記に費やせ」
4、諸体系の崩壊する状況を身を以て生き。。。天下国家の再生の方途を極めて下手な手附きで探し当てようと悪戦苦闘した所に、原初的事実の多方面にわたる記録を物したのであった。
5. 在来の諸体系が崩壊する時代には、一方で、裸の「事実」に対する注目が出現するのと同時に、他方では、「感情」や「心指し」や「気」への特別の関心が立ち現れる。 ――直接进入事实,浪漫主义精神。
6. 「東北遊日記」。その記録精神の中に、「気を起こす」チャンスを求め、崩壊期がもたらす「事実」への注意と「感性」への重視とを雑炊のように交ぜ込みながら、しかも二つの傾向を共に体現したのであった。 (体系的なものが崩れていく時には、この二つの極が分出されるだけではなくて、もう一つ、体系中の象徴的中心をなしていた究極的な「価値の実体」が、周囲の支えと土台を失って孤立し、糸の切れた凧となって、自由に転用されうる「比喩」と化する、という事態が起こる。)

7.「考証学」的態度 VS  「詩」的態度  リアリズム VS ロマンティシズム。
8. 笑社――式亭三馬 と 為永春水


1.悲劇の提出する「英雄」。。。そうして悲劇的精神がその自覚の究極にまで達する時、そこには喜劇的精神が生まれる。――悲喜劇の構造。――「運命」と「人間」との格闘とその格闘における「人間」のどたばた性――笑をもたらすべき。

2.「英雄」と「偉人」の範疇の違さ。「運命」と格闘しなければならない義務を背負う。
3.社会の異物をみなされやすい。
4、松陰、古来の「英雄的忠臣」を「偉人」や「功臣」と区別することなく素朴に崇拝していた。
5、「泣く」のと違って「笑う」ことには精神のすべての様相が含まれうる。
6、喜劇の最高のものは「芸術」のみならず精神の表現として最高の位置を占める。
7、在獄の愉快――笑の余裕を以て、天下全体の構図を面白く見通し、自らの獄中生活をも快活な「横行」の場とするに至ったのである。それが如何に精神的超越を必要とするものであったか
8、悲劇役者松陰、反省的笑と眺望的笑。失敗と孤立の歴史が彼の「成功」を意味していた。
9、目的や手段のギクシャクした食い違い、にもかかわらず、苦闘の徹底などに表れている悲喜劇的な行動様式

藤田省三について

 趙さんの発表により。

一、「精神」
1、精神。思想。理論。の区分と関係。
 精神―「世界に応答するもの」(「精神の非常時」、1981.)、「普遍的なもの」、「高低のあるもの」(「異端論断章」、1967.)
2、既製品的な「思想」、「思想史」ブームの出版界に対する拒否感。(『精神史的考察』解題)
3、「出来上がった作品としてのわが国の「思想」には興味がなく、いまなお、混沌と生きていて、たえず奔流したり逆流したり、まったく未解決な。。。。複雑な日本の『精神』の歴史が問題であった。」

二、『天皇制国家の支配原理』、
  
  藤田并非想要纠弹天皇制国家的反民主性,而是想要通过对日本天皇制与西方绝对主义的比较,在充分理解西方绝对主义所完成的国家建设意义之上,对日本天皇制进行探讨。其中心思想在于,权力,自身无法构成合理性的存在根据,而必须以即存的道德和情绪的世界为基础,而对权力进行神圣化。因而,日本独占道德这一世界观,引发了国际社会的摩擦。

藤田在这篇文章中,完全无视松阴的思想,而将其归化为一个X。那么,藤田如此写作的用意何在?

徳富蘇峰『吉田松陰』、植木通有の解説 「この論文はそれほど長くなく、ある意味では読者に不親切――むしろ故らに不親切に書こうとしたよう――なものであるが、蘇峰を踏まえながら、蘇峰を乗り越えた最初の松陰論といえよう。ここでは一方では松陰にたいし蘇峰のようには密着せず、一定の距離感を保つとともに、他方ではその後における構造的は把握の方法の発展を踏まえることによって、蘇峰にみられるある種の緻密さの欠如が克服され、松陰像が遥かに深められている。」

 80年代后,藤田重要的关心是“崩坏史”。70年代,藤田的沉默。对于60年的安保的失败,以及其后的经济高度成长的绝望感。“朝向安乐的全体主义”。现代人简单地满足于幸福之中,并对于幸福感的丧失保有不断的不安。企图将一切有害于不安的要素排出的现代社会,人类的生存意义被划一化了。(韦伯的铁笼的比喻。安丸良夫 日本的近代化与民众社会)。

1,分配的正义(Distributive justice) VS 应报正义 (Retributive justice)。

Distributive justice is directed at the proper allocation of things -- wealth, power,reward,respect--between diffent peopel.

Restributive justice regulates proportionate response to crime proven by lawful evidence, so that punishment is justly imposed and considered as norally-correct and fully deserved. The law of retaliation is a military theory of retibutive justice, which says that reciprocity should be equal to the wrong suffered; "life for life, wound for wound, stripe for stripe".

此外还有“修复的正义(Restorative justice)”和“匡正的正义”

Restoriative justice, is concerned not so much with retribution and punishment as with (a) making the victim whole and (b) reintegrating the offender into society.This approach frequently brings an offender and a victim together, so that the offender can better understand the effect his/her offense had on the victim.


2 、“昭和的大狱”,藤田的造语,内容包括,治安维持法三一五事件。

3、政治とは可能性の芸術である、ビスマルク。政治是一种可能性的艺术。
 

現在の大問題*1は演説や多数決ではなく、鉄と血によって解決される」(就任後、議会での演説において)

「人が一番嘘を付くのは、狩りの後と戦争の最中と選挙の前だ」

政治とは可能性の技術であり、関係の科学である*2

「法はソーセージと似ている。(どちらも)作る過程は見ない方がよい」

「愚者は経験に学ぶ。賢人は歴史に学ぶ」

「大国ノ利ヲ争フヤ、己ニ利アレバ、公法ヲ執ヘテ動カサズ、若シ不利ナレバ、翻スニ兵威ヲ以テス」(1873年、岩倉使節団を招いての宴席で*3

*1:ドイツ統一を指す

*2:一般には「政治とは可能性の芸術である」として知られている

*3伊藤博文が「東洋のビスマルク」と自称したのはこのときの対面でビスマルクに心酔したからとされる


4. George Orwell "Notes on Nationalism"

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