2010年5月10日月曜日

佐藤一斎

佐藤一斎

さとういっさい[17721859]

幕末期儒学思想界の大御所。名は信行、のちに坦。通称は幾久蔵(きくぞう)、のちに捨蔵。字(あざな)は大道。号は一斎、愛日楼(あいじつろう)、老吾軒、百之寮、風自寮。美濃(みの)国(岐阜県)岩村藩家老の二男に生まれ、藩主松平乗蘊(のりもり)の三男、後の林述斎(じゅつさい)と兄弟のごとくして育った。34歳で林家の塾頭となり、70歳で昌平黌(しょうへいこう)の儒官となる。一斎は若いときから陽明学の信奉者であったが、寛政(かんせい)異学の禁の波及効果の一つとして、藩籍を離脱して大坂に出て、中井竹山(ちくざん)に朱子学を学んだ。しかし、のちに林家の塾頭になったときでさえも、公人としては朱子学を講じはしたものの、個人的信念としてはあくまでも陽明学の信奉者であった。「陽朱陰王」などと陰口をたたかれもしたが、「公朱私王」とでもいいうべきものである。朱子学・陽明学を兼採した一斎の宋明(そうみん)性理学に関する学殖は当代随一であった。一斎門では天下の俊秀と講学できることも大きな魅力であった。幕末期の文教政策・人材養成の点で果たした一斎の功績はきわめて大きいものがあった。主著に『言志(げんし)四録』『愛日楼文詩』などがある。

門下生は3000人と言われ、一斎から育った弟子として山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、中村正直等いずれも幕末に活躍した人材たちがいる。

[田公平]     日本大百科全書

佐藤一17721859

山田方谷 (18051877) −−三島中洲 (18311919

 佐久間象山 (18111864) −−吉田松陰、小林虎三郎、勝海舟、河井継之助、坂本龍馬、橋本左内、加藤弘之など

 渡辺華山 (17931841

 横井小楠 (18091869)−− 坂本龍馬、 井上毅

 中村正直 (18391891


『言志四録』と『洗心洞箚記』  相良 亨 (さがら とおる)『日本思想大系46』、1980年

1、『言志四録』、42歳〜80歳まで、文化10年〜嘉永4年

2、一斎が幕末において、さらには明治時代において私淑(ししゅく)されることの厚かった人物である。高瀬代次郎 『佐藤一斎とその門人』。西郷隆盛と佐藤一斎。

3、徳川時代から明治時代にもちこまれた武士社会の儒教思想ーー儒教的教養によって養われた武士の内面的な姿勢を理解しようとする時、この『言志四録』は極めて貴重な資料である。

4、朱子学と陽明学とを弁別するよりも、その折衷の中に孔孟の精神を伺うことが求めたといえよう。

5、学問は己の為にする−−変動期幕末において、その独立自信の精神はいよいよ光彩をはなつことになったと言えよう。

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